大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第194回【人口1万3000人「村クラブ」の奇跡】(3)プロ選手から薬剤師へ、日本の醤油に先んじること10年…無菌ボトルで大成功したクラブ元会長の画像
“村クラブ”SVエルバースベルクは地元の製薬会社のバックアップで成長してきた。その力は日本代表DF伊藤洋輝が所属するバイエルン・ミュンヘンにまで及ぶほどに(詳細は第4回で)。撮影/原壮史(Sony α1使用)

 サッカージャーナリスト大住良之による「超マニアックコラム」。第3回は、SVエルバースベルクが「村のクラブ」からブンデスリーガ1部へ駆け上がる基盤を作った、ある重要人物の数奇な人生に焦点を当てる。元プロサッカー選手でありながら、ケガを機に薬剤師へ転身。その後、世界初の画期的な「防腐剤ゼロ目薬ボトル」を開発し、世界的な製薬会社トップへと登り詰めたフランク・ホルツァーの驚くべきサクセスストーリーとは。

■元プロ選手から薬剤師への数奇な転身。村のクラブを支えた男、フランク・ホルツァー

 しかし監督の手腕だけで「昇り龍」を説明することはできない。「村のクラブ」をブンデスリーガの話題の中心にしたのは、ある人物の長年の貢献のたまものだった。クラブの元会長、フランク・ホルツァーである。

 1953年3月5日、ホルツァーはシュピーゼン・エルバースベルク村に隣接するノインキルヘン(人口4万7000人)で生まれ、以後はシュピーゼン・エルバースベルク村のエルバースベルク地区で育った。SVエルバースベルクは、彼が幼少時代から10年間以上サッカーをプレーしたクラブだった。

 当時のSVエルバースベルクはアマチュアリーグのクラブで、17歳で高校を卒業するとホルツァーはザールラント州トップのプロクラブであった1.FCザールブリュッケンと契約を結び、プロサッカー選手としてのスタートを切った。ポジションは右ウイング。1963年にブンデスリーガの創設メンバーとなったもののその後降格した名門クラブ・ザールブリュッケンが、ブンデスリーガに再昇格を果たした時期、彼は5シーズンで126試合に出場、14ゴールを記録している。

 1976年には、当時ブンデスリーガで優勝を争うクラブだったアイントラハト・ブラウンシュバイクに移籍、両足を使える選手として左ウイングという新しい役割を与えられたが、ケガに見舞われ、4シーズンでの出場は39試合、3得点にとどまった。トレーニングもままならない時間を使い、ホルツァーはまったく別の勉強を始めた。薬学である。

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