間もなく、愛知・名古屋を中心にアジア競技大会が開幕する。今大会のサッカー競技には、男子がU-21日本代表、女子が国内組中心のなでしこジャパンで挑む。長年世界を飛び回るサッカージャーナリスト・後藤健生の脳裏には、過去のアジア大会の強烈な記憶が刻まれている。今回は、中村俊輔や小野伸二ら若き「トルシエジャパン」が挑んだ1998年バンコク大会。タイ南部の混沌とした熱気と、まさかの敗退劇を振り返る。
■若き黄金世代で挑んだ「フル代表の祭典」
前回に続いてアジア大会の思い出です。
といっても、僕はADカードを取得して海外で行われたアジア大会を見に行ったのは、1998年のバンコク大会だけなのです。あとは、1986年のソウル大会と2014年の仁川(インチョン)大会の時にチケットを買って何試合か観戦しただけです。
最近はアジア大会の男子サッカーは23歳以下の年齢制限がある大会となったので、興味も今一つというわけです。
1998年のバンコク大会の時はまだフル代表が出場できる大会で、たとえば優勝したイランではアリ・ダエイなどもプレーしていました。
一方、日本はこの年のフランス・ワールドカップが終わってからフィリップ・トルシエというフランス人監督がやって来て、メンバーを大幅に若返らせており、アジア大会も実質的に次期オリンピック・チームでした。
そのトルシエ監督の日本代表は、1次リーグではネパールとインドと対戦しましたが、会場はタイ南部のトランという町でした。バンコクから国内線で1時間くらいかかります。
そして、トランに行ったついでに、日本の試合がない日にはソンクラーという隣町で北朝鮮とアラブ首長国連邦(UAE)の試合を見ました。どちらもマレーシア国境にも近く、イスラム教徒が多い地域で、バンコクやチェンマイといった町とはかなり違った雰囲気の町でした。




































