蹴球放浪家・後藤健生の放浪仲間であり、日本を代表する名物ライター・田村修一さんが天へと旅立った。致命的な弱点があっても持ち前の「人徳」で愛され続けた彼には、「日本人で唯一のバロンドール投票権を持つ男」という偉大な顔があった。しかし、その輝かしい肩書きの裏でも、彼は常に頭を抱えて悩み続けていたという。後編では、9.11直後の異国で起きた忘れられない珍道中から、世界的な賞の投票に隠された裏話、そして彼が誰からも信頼され続けた最大の理由である「不器用すぎるほどの真面目さ」をひも解く。
■9.11直後のトリニダード・トバゴ。数少ない日本人記者たちの珍道中
2001年にトリニダード・トバゴでU-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)が開催されました。
開幕したのは9月13日。つまり、アメリカで9.11同時多発テロが起こった2日後のことです。同時多発テロではニューヨークの世界貿易センタービルに2機の旅客機が突っ込んで約3000人が犠牲となりました。
そのため、その後数日間、世界的に飛行機の運行が止まってしまいました。僕は、テロが起こった時刻にはちょうどロンドンからトリニダード・トバゴに向かって大西洋上を飛行していたので無事にトリニダードに入国しました。
しかし、日本からやって来る予定の記者・カメラマンはアメリカ経由でしたから、誰も現地入りできませんでした。田村さんは、ちょうど南米大陸を旅行中だったので、至近のベネズエラからトリニダード・トバゴ入りしたそうです。僕がトバゴ島のドワイト・ヨーク・スタジアムで日本代表の初戦(対アメリカ)を見ていたら、大きなスーツケースを抱えた田村さんが記者席にやって来ました。空港からタクシーで乗りつけてきたそうです。
そんな状態でしたから、日本人記者団はほんの数人だけだったので、田村さんとは同じホテルで、ほとんど同一行動という旅になりました。
そして、毎日のように「締め切りだぁ、締め切りだぁ」というボヤキを聞き続けるハメに陥ってしまったというわけです。


































