日本人唯一の「バロンドール」審査員であり、仏権威誌『フランス・フットボール』等でも活躍したジャーナリスト・田村修一氏。イビチャ・オシムやフィリップ・トルシエら、歴代の日本代表監督とも通訳なしで強固な信頼関係を築き上げた。
日本サッカー界に多大な影響を与えた重鎮は、なぜこれほどまでに国境を越えて多くの指導者や選手から愛されたのか。
蹴球放浪家・後藤健生が、盟友・田村氏の「周囲を引き込む不思議な人徳」と、世界を股にかけた愛すべき“大迷子”の放浪伝説を振り返り、深い追悼の意を捧げる。
■オシムも愛した「素直さ」。周囲を巻き込む不思議な人徳
田村さんのフランス語は、大人になってから習ったものなので発音は日本語的なので、聞いていて僕もよく理解できましたが、彼は耳が良いのか、相手の言っていることをよく理解できて誰とも会話が進んでいるようでした。相手の言うことを疑うことなく、すぐに信じ込んでしまう彼の素直さが、インタビュー相手にとって気持ち良さを感じさせるのでしょう。
なぜか、彼には周囲の人を協力させてしまう“人徳”のようなものが備わっていました。
田村さんは、かなりの方向音痴でした。
2005年に韓国で東アジア選手権(現、EAFF E-1選手権)が開かれた時のことです。日本代表はまず7月31日と8月3日に大田(テジョン)のワールドカップ・スタジアムで北朝鮮、中国と対戦しました(それぞれ0対1の敗戦、2対2の引き分け)。
そして、8月4日には全州(チョンジュ)で男子と女子の韓国対北朝鮮戦が行われることになっていました。僕たちは大田の儒城(ユソン)温泉のホテルに泊まっていましたが、注目の南北対決を見るために4日朝のバスで全州に向かう予定でした。






































