後藤健生の「蹴球放浪記」第327回「T村S一さんの思い出」の巻(1) カズやトルシエが愛した日本人唯一のバロンドール審査員の素顔!W杯直後のフランス取材とオマール海老事件の画像
トルシエ監督、カメラマンの六川さんとともに。左端が田村さん。右端が筆者(ホーチミン市 2019年)。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生には、ともに世界を放浪してきた大切な仲間がいる。7月29日、そのひとりが天へと旅立った。
 サッカージャーナリスト・田村修一氏。日本人で唯一、世界最高峰の個人賞「バロンドール」の投票権を持ち、仏紙『レキップ』などで活躍した日本サッカー報道の重鎮だ。
 享年68。フィリップ・トルシエ元日本代表監督が「兄弟のような存在を失った」と嘆き、長年の付き合いがある三浦知良(福島)も「早すぎる。もっと書いてほしかった」とその死を深く悼んだ。
 追悼の思いを込め、盟友である後藤氏が、知られざる偉大な足跡と生前の愛すべき武勇伝を記す。

■「T村S一さん」との忘れがたき日々

 ご承知の方も多いと思いますが、7月29日の早朝、フットボール・アナリストの田村修一さんが亡くなりました。68歳になったばかりだったそうです。

 田村さんは「T村S一さん」としてこの「蹴球放浪記」にも何度かゲスト出演していただきました。そこで、最後に彼の思い出を語ることで追悼の意を表したいと思います。

 僕とT村さん……ではなかった田村さんは、お互いにプロの物書きになる前から「日本サッカー狂会」(1962年創設のサポーター団体)で知り合っていましたから、ずいぶんと長いお付き合いでした。

 そんな長いお付き合いの中でも最大の思い出の一つは『サッカー批評』(第3号)の取材で一緒にフランスを旅行したことです。

『サッカー批評』という雑誌は1998年に双葉社から創刊されましたが、初代編集長は半田雄一さんという方でした。今では絶滅してしまった昔気質の、ちょっと(かなり?)偏屈そうな凄腕編集者でした。現在のWEB版の『サッカー批評』が始まったときも半田さんが関わっていて、ちょうどコロナウイルスの感染拡大が始まった2020年にマスクをしながら何度も打ち合わせをしたものです。

  1. 1
  2. 2
  3. 3