大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第188回「アメリカ・サッカー小史(上)」(3) 歴史の闇に葬られた「1930年W杯3位」から“冬の時代”への真実の画像
アメリカ代表と日本代表は、カタール・ワールドカップを前にした2022年9月にも対戦。今ではともに、世界の上位をうかがう国になってきている。撮影/中地拓也

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、気になるあの国のサッカーについて。

■第1回W杯に出場

 1914年から1918年まで続いた第一次世界大戦は欧州を疲弊させ、欧州各国から豊かなアメリカへの移民が急増する。そのなかには、イングランドでプロとしてプレーしていたスコットランド人選手たちもいた。彼らは工場のチームなどで歓迎され、やがてリーグもセミプロ化していく。

 1930年の第1回ワールドカップは、アメリカのサッカー史に燦然と輝く金字塔だ。南米のウルグアイで開催された大会は、16チームで開催の予定だったが、大西洋横断と南米までの船旅に2週間もかかる時代、欧州各国は出場を渋り、FIFA会長ジュール・リメの呼びかけに応えてチームを送ったのは、結局、フランス、ベルギー、ルーマニア、ユーゴスラビアの4か国だけだった。当時、イングランドを含む英国4協会はFIFAから離脱していた。

 南米からは開催国ウルグアイに加え、アルゼンチン、チリ、ブラジル、ボリビア、ペルー、パラグアイの計7か国が参加した。そして北米からアメリカとメキシコが参加し、13チームでの開催となった。当時は国際交流の機会も少なく、欧州と南米のチームの対戦になるとオリンピックぐらいしかなかった。

 16チーム集まれば1回戦、準々決勝、準決勝、決勝と「ノックアウト方式」にする予定だったが、13チームとなり、試合数を確保するために4組に分けてそれぞれで総当たりを行い、1位チームが準決勝に進出する形がとられた。強豪チーム同士が早い段階で当たるのを避けるため、「シード」の決定が話し合われたが、ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジルをシードすることは決まったが、もう1チームはアメリカとパラグアイで議論が長引いた。結局、この両国をベルギーとともに第4組に入れることになった。

  1. 1
  2. 2
  3. 3