後藤健生の「蹴球放浪記」第312回「伝説のスウェーデン戦・会場探し」の巻(2)原口元気が所属したブンデスの名門、「分断の歴史」を超えて現在…の画像
ヘルタ・ベルリンには、直近では原口元気、かつては細貝萌氏、そして奥寺康彦氏と、日本代表選手が所属してきた。撮影/中地拓也

 サッカー日本代表がワールドカップ第3戦で激突する相手がスウェーデンに決まった。日本は90年前、スウェーデンを相手に「奇跡」を起こしたことがある。蹴球放浪家・後藤健生は、その舞台となったドイツのスタジアムへ向かった。

■忘れられたスタジアム

 さて、2006年のドイツ・ワールドカップのとき、僕は本屋に行って1枚の地図と1冊の本を買い求めました。地図は1936年のオリンピックが開かれたときのガイドマップの復刻版。そして、本というのはヘルタ・ベルリンの歴史書でした。

 地図には、もちろんスウェーデン戦があった「プルンぺ」も載っていましたし、歴史の本にはその写真も載っていました。

 そこで、僕は思い立って、その場所を訪ねてみることにしました。

「ヘルタプラッツ」があったのはベルリンの中心街ミッテ地区の「ゲズントブルンネン」という場所でした。日本語に直訳すると「健康の泉」になります。

 さて、復刻版の地図と現在の地図を照らし合わせながら、ぶらついていると子どもたちのサッカー教室が行われている公園にたどり着きました。スタジアムの跡地は、このような形でグラウンドとして今でも使われているようです。グラウンドの外周部に古いコンクリートの構造物が残っていたので、もしかしたらあれが昔のスタンドの跡なのかもしれません。

 通りがかりの人、何人かに聞いてみました。

「ここって、ヘルタのスタジアムだったとこですか?」

 しかし、明確な答えは返ってきませんでした。

「たしかにスタジアムがあったとは聞いているけど、正確な場所は分かんないねぇ」

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