後藤健生の「蹴球放浪記」第311回「私がポーランドを愛する理由」の巻(2)W杯が10年早く始まっていれば優勝していた?帝国の「サッカーの起源」の画像
EURO2012で試合会場にもなったビエルスコ=ビャワの街並み。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は世界中を旅してきた。中でも愛すべき国があり、そのひとつがポーランドだ。2018年大会に続き、サッカー日本代表が対戦したかもしれない相手の国。その愛すべき国民性と街並みが、蹴球放浪家の脳裏に浮かんだ。

■EUROの会場となった街

 最後にポーランド滞在を楽しんだのは、2019年のU-20ワールドカップのときです。新型コロナ・ウイルスの感染拡大で、海外旅行ができなくなる前の年のことです。

 EUROのときはグダンスクやポズナニ、ブロツラウといった大都市を巡りましたが、U-20ワールドカップで会場となったのは、より小規模な都市だったので、また違う体験ができました。

 日本代表がグループリーグで戦ったのは中部のブィドゴシュチュという都市で、人口35万人ほどの落ち着いた街でした。

 いろいろな街を訪ねましたが、アルゼンチン対ポルトガルという好カードを見に行ったのが、南部、チェコやスロバキアとの国境にも近いビエルスコ=ビャワという小さな都市(人口17万人)でした。

 ポーランドというのは平原地帯にある国ですが、チェコやスロバキアとの国境には標高1500メートルくらいの山々が連なっています。

 今はポーランド、チェコ、スロバキアと各民族別の国家になっていますが、東ヨーロッパで各民族ごとの国家が樹立されたのは1910年代の第1次世界大戦後のこと(これを「国民国家」と呼ぶ)。それより前は、「帝国」という名の多民族国家によって分割されていたのです。

 ポーランド人が住む地域の北部はドイツ帝国。東部はロシア帝国。そして、南部はオーストリア=ハンガリー帝国(以下、オーストリア帝国)に属していました。南部のビエルスコ=ビャワはオーストリア帝国領だったのです。

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