3月末、森保一監督率いる日本代表が、サッカーの母国が誇る2つの「聖地」に足を踏み入れる。欧州勢とのアウェー戦が極めて困難な現代において、スコットランド(ハムデン・パーク)とイングランド(ウェンブリー・スタジアム)との連戦は、日本サッカー史に残る破格のビッグマッチだ。 実はこの2大スタジアムは、過去の日本代表にも数々のドラマをもたらした因縁の地でもある。ロンドン五輪におけるハムデンでの歓喜。カズとゴンが躍動も、まさかの結末を迎えた旧ウェンブリーでの死闘。そして、男女ともに躍進した新ウェンブリーの熱狂――。 サッカージャーナリスト・大住良之が、歴史的な連戦を目前に控え、スタジアムの知られざるディテールと、日本代表が刻んできた「聖地での記憶」を全5回にわたってマニアックにひも解く。
■ウェンブリーの誕生
「ウェンブリー」の建設は、「ハムデン」より20年遅れた。1923年に完成し、以後FAカップ決勝戦とイングランド代表のホームゲームの舞台となってきた。
建設当時、ロンドンの北西の郊外、ウェンブリー・パークと呼ばれた地域は、ロンドン市内ではなく、「ミドルセックス州」の村だった。19世紀なかばに鉄道が通り、1890年、この地区を通る鉄道会社の会長であり、政治家でもあったエドワード・ワトキンは、前年パリで完成したエッフェル塔(330メートル)を上回る鉄骨製のタワー(358メートル)の建築を計画、自らの鉄道の利益アップをもくろんだ。
工事は1893年に始まり、建設中にもかかわらず1894年に一般公開が始まり一挙にロンドン市民の人気スポットとなった。1895年には高さ47メートルに達し、スモッグ(この言葉ができたのは、1905年のロンドンだったが…)にかすむ中にロンドンの市内を見渡すことができた。
しかしこのころに構造物の基礎が不安定で、沈降が始まり、工事はストップ。未完成のまま公開が続けられたものの、1901年にワトキンが亡くなると、施設は閉鎖され、1907年には解体が完了した。ウェンブリー・スタジアムは、まさにこの場所「ワトキンズ・タワー跡地」に建設されたのである。
1920年、この跡地を含むウェンブリー・パークで大英帝国博覧会が開催されることが決定すると、その中心的な施設として10万人規模の巨大スタジアムの建設が計画され、工事は順調に進んで1923年に完成にこぎつけたのである。
北側に置かれたバックスタンドの外部には、高さ38メートルの2つの白いタワーが立っていた。博覧会用の国旗掲揚のためにつくられたもので、当初の計画では博覧会終了後は撤去される予定だったが、博覧会委員長が保存を要望し、以後、「ツインタワー」はウェンブリー・スタジアムのシンボルとなった。
























