サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、あの、黄色いユニフォームについて。
■ユニフォームデザインを公募
「マラカナンの悲劇」にはひとつの敗因があった。大会前、ブラジル最南部「リオグランデドスール州」の強豪「ECペロタス」がウルグアイの首都モンテビデオに遠征し、ウルグアイ代表の強化試合の相手を務めた。そして、「聖地(1930年第1回ワールドカップ決勝線会場)」センテナリオ・スタジアムで、なんとウルグアイを破ってしまったのだ。
ブラジル人選手たちの驚くべきテクニックを目の当たりにしたウルグアイ代表のフアン・ロペス・フォンタナ監督は大きな教訓を得た。ブラジルを相手にするときには安易に攻め込まず、しっかり守りを固めて、攻撃は少人数でのカウンターアタックを主要な武器にしようというのである。そして圧倒的なスピードを誇るギッジャを右ウイングに起用することにしたのである。
しかしあまりに大きなショックのなかで、ブラジル人たちは、そうした戦術面のことを分析するより、超自然的な面にとらえられた。それがユニフォームの「白」を忌避する考えだった。
こうした空気を助長し、「新ユニフォーム制定」への動きをリードしたのは、リオデジャネイロの人気紙『コヘイオ・ダ・マーニャ』だった。「あらゆる大統領にかみつき、反対の立場を取る」と大衆の人気を得ていたこの新聞のキャンペーンは人々の心をつかみ、1953年、CBDは新しいユニフォームの公募に踏み切るのである。







