大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第171回「10番の話」(2)背番号=ポジションの時代、10番に「特別な意味」を持たせた少年、ブラジル・スタイル「唯一の例外」はヴィニシウスの画像
ブラジル・スタイル唯一の例外は、20番のヴィニシウス・ジュニオルの先発出場だった。撮影/原壮史(Sony α1使用)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム。今回のテーマは、憧れの背番号。

■「10番=スター」ではなかった時代

 サッカーが始まった頃から「10番=スター」であったわけではない。そもそも、サッカーが始まった頃には、背番号などなかった。世界の各地で背番号が使われるようになるのは1920年代から1930年代にかけてで、当時一世を風靡していた「ピラミッド・システム」のポジションごとに番号を振ったものだった。すなわち、「背番号」とは、「ポジション名」だったのである。

「ピラミッド・システム」は、今日風に数字で表記すれば「2-3-5システム」。「フルバック」と呼ばれたディフェンダーが2人、「ハーフバック」と呼ばれたミッドフィルダーが3人、そしてフォワードが5人で、右から7、8、9、10、11と振られた。右ウイングが7番、左ウイングが11番、9番はセンターフォワードである。そして8番と10番は右と左の「インサイドフォワード」を示した。

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