後藤健生の「蹴球放浪記」第274回「韓国好きは大久保育ちだから?」の巻(1)ライバルとは呼べない「日韓定期戦」の韓国代表、育った町に住んでいた「昭和の名人」六代目圓生の画像
筆者が初めて韓国を訪れた1983年の韓日定期戦の入場券。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は現在、韓国にいる。E-1選手権の取材は終了したが、放浪は延長戦に入っているのだ。韓国を歩きながら、「日韓サッカー」と「生まれ育った町」に思いを馳せる。

■「似ている」日本と韓国

 E-1選手権を観戦するため、7月7日から韓国に来ています。

 男女の大会が同時に行われるので、10日間に合計12試合。僕が泊まっている水原(スウォン)市から男子の試合が行われた龍仁(ヨンイン)ミル・スタジアムや、女子の2試合が行われた華城(ファソン)綜合競技タウンまではバスで往復3時間ほどかかるので、それなりに忙しい生活となりました(水原ワールドカップ競技場までは徒歩10分)。

 僕は大会終了後も1週間、韓国に残って各地でKリーグの試合を観戦して帰国するつもりなので、今回は合計17泊のかなり長い滞在となります。

 日本と韓国は言葉こそ違え、社会の構造とかコンビニの品ぞろえなども似ているので、長期滞在してもストレスは感じることがありません。

 僕は韓国の地理や歴史の知識も持っていますし、国歌「愛国歌」を1番だけですが、歌うこともできます。ずいぶん前のことですが、在日韓国人のサッカー記者の1人に「後藤さんも、本当は在日なんでしょ?」と言われたこともあるくらいです。

 韓国語はほとんど話せませんが、ハングル(文字)は読めるので、生活に不自由ありませんし、韓国料理も大好きです。「Kリーグ観戦」というのは口実で、実は「長期滞在を楽しみたい」という気持ちのほうが強いのかもしれません。

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