■「俺はキックする、ゴールを決める」
さて、少年時代の話に戻る。ブライアンは法律家を志望していた。そのための有力なコースとして、ロンドン市内の私立学校UCSハムステッド校に進む予定だった。しかし第二次世界大戦が始まり、ロンドンがドイツの空爆にさらされることを危惧した父親は、ロンドンの南西、60キロも離れた田舎町の寄宿学校「チャーターハウス校」にブライアンを進学させた。そして同時に自宅もそのさらに南、英国海峡に面したボグナー・レジスという田舎町に移した。ジョゼフはそこから毎日ロンドンの診療所に通ったのである。
ブライアンが「チャーターハウス校」への進学を受け入れたのは、そこがサッカーをプレーする学校だったからである。事実、チャーターハウスは、「サッカー揺籃の地」のひとつだった。寄宿舎生活は陰鬱で彼を苦しめたが、土曜日のたびに父が訪れ、ときにはアーセナルの試合に連れていってくれたのが大きな慰めとなった。
父ジョゼフは手紙もよくくれた。それには、彼がつくった詩が添えられていることもあった。
「俺はキックする、ゴールを決める。
おお、ボールが飛んでいく。
キーパーはジャンプする。だがその動きは遅すぎる…」