■「欧州人」としては
そして3人目が、フィルポ・ヌニェスである。フルネームはネルソン・エルネスト・フィルポ・ヌニェス。アルゼンチン人で、1965年の9月にベロオリゾンテで行われたウルグアイ戦(3-0の勝利)で1試合だけ指揮を執った。この人だけが、ブラジルが「世界チャンピオン」になってからの「外国人監督」である。
1958年(スウェーデン開催)と1962年(チリ開催)のワールドカップで連覇を飾り、1年後に迫った1966年大会(イングランド開催)での3連覇が有力視されていたブラジル代表は、世界の強豪から試合を申し込まれていた。そして6月から7月にかけて、ブラジル国内で3試合、アウェーで4試合という「7連戦」を強行した。ホームでベルギーに5-0、西ドイツに2-0、アルゼンチンに0-0、以下アウェーでアルジェリアに3-0、ポルトガルに0-0、スウェーデンに2-1、そしてソ連に3-0と、5勝2分けの成績だった。
欧州から戻って2か月後、9月7日のウルグアイとの親善試合は、ベロオリゾンテの「ミネイロン」スタジアムの落成を祝うものだったが、代表選手たちは6月と7月の7試合で疲れきっており、CBFはパルメイラスを「ブラジル代表」としてプレーさせることを決めた。そのパルメイラスの監督がフィリポ・ヌニェスだったのである。
当時の正式なブラジル代表監督はビセンテ・フェオラ。1958年ワールドカップでブラジルに初優勝をもたらした名将である。1962年チリ大会はアイモレ・モレイラ監督で2連勝を果たしたものの、CBFは1964年にフェオラを呼び戻し、1966年イングランド大会での3連覇を託した。しかし、フェオラはこのウルグアイ戦だけはフィリポ・ヌニェスに任せることにしたのである。試合は3-0の勝利だった。
というわけで、アンチェロッティはブラジル代表史上4人目の「外国人監督」で、「欧州人」としては2人目ということになる。