■安住の地を求めて「国外逃亡」

 父母の「祖地」だったこともあり、すぐにチェコスロバキア国籍を与えられ、代表にデビューし、6試合に出場して4得点を記録する。しかし、チェコスロバキアも彼に兵役に就くことを求めたため、わずか2シーズンでハンガリーに戻り、1948年夏、バシャシュ・ブダペストに移籍する。そしてハンガリーのパスポートも放棄していなかったため、ハンガリー代表として3試合プレーする。

 しかし、第二次世界大戦後の世界の急速な変化はクバラに「安住の地」を与えなかった。ハンガリーではナチスドイツと連合していた王権が倒れ、1946年に共和国が誕生していたが、次第にソ連の影響が強くなり、1949年8月、「ハンガリー人民共和国」となってソ連の「衛星国」のひとつとなった。

 クバラはこれを嫌い、その数か月前にトラックの荷台に乗ってブダペストを脱出、国外に逃亡した。逃亡先はオーストリアのアメリカ占領地域。そこからイタリアに渡り、「プロ・パトリア」というセリエAのクラブで短期間プレーした。

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