大住良之の「この世界のコーナーエリアから」第155回【世界を変えた「日本のサポーター」とウルトラマン】(2)カナリア色ではなかった「ブラジル代表」の応援席、39人死亡「チャンピオンズC決勝戦」以上の大暴動の画像
かつてブラジル代表のゴール裏を染めたのはカナリア色ではなかった。撮影/渡辺航滋(Sony α1使用)

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、ゴール裏のアツ~い奴ら。

■社会問題になった「フーリガン」

 東京12チャンネル(現在のテレビ東京)が1968年に放映を始めた「三菱ダイヤモンドサッカー」における岡野俊一郎さんの解説により、1970年代には、日本でもサッカーファンの間では「サポーター」という言葉がよく知られるようになっていた。しかし、番組が始まった1968年ごろには、イングランドのスタジアムには今のJリーグで見るようなサポーターの集団はいなかった。

 みんなが声をそろえて応援したり、ときには合唱することはあっても、スタンドの一角に同じ色のシャツを着た熱狂的なサポーターの集団がいるわけではなく、黒っぽい服を着たお兄さんやおじさんたちがいっせいに拍手したり、ため息をついたりしていただけだった。それが1970年代の後半から組織化されたサポーター集団となり、1980年代には暴力的な「フーリガン」と化して、やがて大きな社会問題になっていく。

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