■2大会連続で「独裁政権下」の大会に

 ところで、1974年大会中にはペロン大統領の死去に続いて、スペインの独裁者フランシスコ・フランコ総統の重病というニュースも入ってきました。1930年代のスペイン内戦で左翼政権を打倒して権力を握った軍人です。もっとも、当時のスペイン代表はずっと低迷しており、ヨーロッパ予選でユーゴスラビアに敗れて西ドイツ大会には参加していなかったので、大きなニュースにはなりませんでしたが……。

 このときは、命を取り留めたフランコでしたが、結局、翌1975年11月に82歳で亡くなりました。

 そのスペインは、アルゼンチン大会の次の1982年ワールドカップの開催国でした。もし、1982年にフランコがまだ権力の座にあったとしたら、FIFAは2大会連続で独裁政権下でワールドカップを開催することになり、批判が高まっていたかもしれません。

 しかし、フランコ総統の後継者に定められていたボルボン王家の王子、フアン・カルロスは国王に即位すると、意外なことに矢継ぎ早に民主化を推し進めていきました。

 そのため、1982年大会は民主化の流れの中の明るい雰囲気の中での大会となりました。

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