筆者がどうやっても忘れられない鬼木達監督の表情がある。川崎フロンターレの監督を退任することが発表されて以降、その日のことばかりが思い出される。
体勢は、壁に寄りかかって、今にも崩れ落ちそうというもの。いや、崩れ落ちる寸前だったところをギリギリ支えてもらっていたのかもしれない。もし、肩を支えてもらっていなければ、立てていなかったのかもしれない。
顔に浮かび上がるのは、苦悶というべきか、怒りというべきか。そうした感情が、顔をくしゃくしゃにしていた。その姿は今まで見たことがないし、あるいは、これからも見せないかもしれない――。
これは、あまりにも悔しい黒星を喫したあるアウェイゲーム後のことである。場所はスタジアム内の廊下。実を言うと、この表情を見て少し安心した部分もある。表現としてややおかしいが、鬼木達監督も人間なのだと。
鬼木監督の驚くべき一つは、自分に矢印を向ける強さだ。どこまでも、本当にどこまでも、その胸に矢印を向ける。そこまでしなくても、と思ったことは数知れない。だからこそ、それについて何度も質問を重ねてきた。そのルーツはどこにあるのか、誰の影響を受けたのか、その理由は――。
返ってくるその答えは言ってみればあまりに理想的だった。生まれながらのキャプテンシーをまとう人が持つ特有のものではある。そしてそれを証明するような言葉が、選手やスタッフの口から何度も聞かされた。プロの世界で結果を残す人とは、そこまで超越しているのかと。