後藤健生の「蹴球放浪記」第240回「『最〇端』への遥かなる道」の巻(2)中村俊輔が活躍したレッジーナで「最南端」へ、三浦知良が涙したカタールで「最北端」への画像
レッチェ対ローマ戦、放送席用の入場券。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は、世界の隅々までサッカーを追って放浪する。さらに、ひとつの国に入れば、その隅々までも取材する。セリエA取材で訪れたイタリア、「ドーハの悲劇」で知られるカタールで、端の端まで取材を敢行してきた。

■ローカル線で半島の「最南端」へ

 イタリアには「レッジョ」という都市が2つあって、北部エミリア・ロマーナ州のほうがレッジョ・エミリア、南部のカラブリア州の方はレッジョ・ディ・カラブリアと呼ばれています。ちなみに、サッカークラブは北部がレッジャーナ、南部がレッジーナ。レッジョという都市名は同じ(イタリア語のスペルも同じ)でも、その形容詞形が違うのでクラブ名が違うのです。

 レッジーナは、もちろん中村俊輔が活躍したクラブですが、僕がここを訪れたのは中村が移籍するよりも少し前のことでした。

 レッチェの駅から列車でレッジョに向かいました。途中、南部の港町ターラントで途中下車してランチを取って、そこから再び列車に乗ります。

 乗車券を買ったとき、駅員からは急行列車を勧められました。急行は最南端を回るローカル線ではなく、途中で半島を横切ってショートカットするので、当然、レッジョまでの乗車時間はかなり短くなります。

 でも、僕(と、当時お願いしていた日本人通訳は)は「どうしても」と言い張って、「最南端」経由のローカル線の乗車券を購入したのでした。

 イタリア半島「最南端」。いかにもロマンティックそうではありませんか……。

 たしかに夕方の少し暗くなりかけた海の景色はとても美しいものでした。ただ、残念ながら、イタリア半島「最南端」は岬という地形にはなっていなかったのです。ゆっくりと、なだらかに右回りにカーブを描いて列車は進みましたが、そのどこかが「最南端」だったというわけです。

  1. 1
  2. 2
  3. 3