■「不参加チーム」のための大会

 それまで、社会人(実業団)チームが参加できる全国大会としては3つあった。一つは、天皇杯全日本選手権大会。そして、全日本実業団サッカー選手権大会があった(1948年に第1回大会)。これは、文字通り実業団(選手がすべて同一企業あるいは企業グループに所属するチーム)だけの大会で、クラブチームは出場できなかった。

 そして、さらに全国都市対抗サッカー選手権大会があった。これは、1955年に第1回大会が開かれており、クラブチームにも門戸が開かれて補強選手が認められていたので、他企業の選手が参加したり、複数の企業の合同チームが参加したりもした。

 今では、選手は必ず1つのチーム(クラブ)に登録されることになっているが、当時はそういうことが許されていたのだ。

 そして、天皇杯全日本選手権大会も含めて、こうした全国大会はすべて集中大会として開催されていた。全チームが特定の都道府県に集まって一斉に開催され、現在の全国社会人選手権大会と同じように、連戦のノックアウト式トーナメントとして行われたのだ。

 当時、日本代表の特別コーチとして招聘されていたデットマール・クラマー(西ドイツ)は、こうした大会を視察して、ノックアウト式では1回戦で敗れたチームは1試合しか経験できないこと。そして、準決勝、決勝となると、連戦の疲労が溜まってきて高いレベルの試合ができないこと、そうした弊害を指摘。リーグ戦形式の導入を提言したのだ。

 JSLは、このクラマー・コーチの提言を受けて発足した(「日本サッカーの父」と呼ばれるクラマー・コーチは地域リーグを想定していたようだが、当時の指導者たちは一気に全国リーグを発足させた)。

 そして、JSLに参加しなかった社会人チームのための大会として、新たに始まったのが全国社会人サッカー選手権大会だった。

 だから、「全社」が集中方式の連戦で行われるのは、大会が始まった1960年代のやり方をそのまま踏襲したものだということになる。僕が最初のほうで「今時、こんな……」と書いたのはそういう意味なのである。

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