サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、有料の観客席よりも優遇される無料の記者席の「問題点」と課せられた「責任」について、自分自身に対する「戒め」とともに、立ち止まって考える。
■W杯では「6人分」で1人分
スタジアムでは、地下など下層階に記者たちの仕事場となる「プレス(メディア)ルーム」が設置され、記者たちはここで取材の準備をしたり、仲間と雑談しながら過ごし、キックオフが近づくと「トリビューン」に上がっていく。そして試合が終わり、記者会見(監督が出てくる)やミックスゾーン(選手が出てくる)での取材が終わると、「プレスルーム」に戻って原稿を書くなどの仕事をするのである。
そう考えてみると、「トリビューン」は言い得て妙な気がする。世界中でさまざまなスタジアムに行ったが、プレスルームからトリビューンに出るには、必ず階段を昇るか、エレベーターのお世話にならなければならない。「階段を降りて記者席へ」という経験は皆無と言ってよい。
サッカーというゲームを理解するためには、ピッチと同じ面より少し高いところから見るほうが有利であるのは明白だ。ピッチ面からプレーを見て、試合を動かしているのが監督たちだが、その一方で記者たちは一段高いところから見て、ようやくコンビネーションの素晴らしさや戦術的問題点などを理解できた気がするのである。
だが私が「痛み」を感じるのは、監督たちに気の毒だと思う気持ちからではない。記者席が恐ろしく「場所取り」だからである。1人の記者が取材のために使う記者席は、狭く簡易な記者席でも通常の観客席の2席分、ワールドカップなどの大きな大会では、6人分ものスペースを使って立派な1人分の席が設置されているからだ。