後藤健生の「蹴球放浪記」第231回「どこの国の領土?」の巻(2) 支配する国によって違う「街の景観」、数多くの国に支配された「U-17ワールドカップ開催国」はの画像
モザンビークのビザ。公用語は今でもポルトガル語である。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は、取材先で既視感に襲われることがある。予期しない場所で突然、ヨーロッパの街並みが出現することがあるのだ。アフリカで、アジアで、蹴球放浪家が目にした、ヨーロッパ諸国による「歴史の爪あと」――。

■スペイン、ドイツと「似ている」国

 さて、モザンビークの首都マプトは、独立後、激しい内戦があったのが嘘のように平和な街で、夜でもホテルの外を自由に歩くことができました。

 街の真ん中は碁盤の目のような街路が広がっており、その中心には四角形の公園があり、大きな木々が枝を広げています。スペインやポルトガルの、あるいは旧スペイン領やポルトガル領だった南米各国の都市とも似ています。建物の構造や、窓の飾りなども、本国ポルトガルと同じ。建物の壁面が「アズレージョ」と呼ばれるタイルで装飾されているところも、ポルトガルの街と同じでした。

 そう、旧英国植民地だった南アフリカとはまったく違うのです。

 大会終了後に訪れたジンバブエとザンビアは旧英国植民地(南ローデシア)でしたから、街の構造は基本的には南アフリカと同じでした。

 しかし、最後に訪れたナミビアはまたちょっと趣向が違いました。

 そう、ナミビアは第1次世界大戦前はドイツ領の「南西アフリカ」という植民地だったのです。

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