■不法占拠の地を「スタジアム」に
スペイン植民地、ヌエバ・エスパーニャの首都となったメキシコ市は発展し、テスココ湖は埋め立てられて次第に小さくなっていきます。湖の東岸側も20世紀初めまでに干拓が終わりましたが、干拓地は塩分を含んでいたので農地には適さず、開発されないまま放置されていました。
そして、第2次世界大戦後になると、メキシコ市には地方からの移住者が殺到。彼らは空き地になっていた干拓地に勝手に家を建てて土地を占拠してしまいました。そして、1963年になって、この地域は「ネサワルコヨトル」という新しい自治体(市)として認められました。「ネサワルコヨトル」とは、かつてこの地にあって後にアステカ帝国に滅ぼされたテスココ王国の国王の名前です。
なにしろ、不法占拠から始まった土地ですから、インフラ整備は遅れており、電気も通っていなかったので、人々はどこからか勝手に電線を引いてきて生活を営んでいました。つまり、盗電ですね。
そんなスラム化した町を整備する意図もあったのでしょう。メキシコ政府は、ここでワールドカップの試合を開催することを決定。1981年に完成していた小さなスタジアムが「エスタディオ・ネサ86」として整備されました。