「正直、自信はなかったです(笑)」
小久保 最初は、先制した1点を後ろの選手と自分で絶対に守らなければいけないと思いました。でも、そうじゃない。チーム全員で守らなければいけないよねと、ハーフタイムにみんなに声をかけました。
追加点を狙いたいし、この1点を守りたいという思いもあったので、そんなときこそ、チームがしっかり団結しないといけない。結果、10人になったけど、みんなで11人分の働きをすることができたので、勝つことができたんだと思います。
もし、中国戦で負けていたら、アジアカップの優勝はなかったと思いますし、それだけ重要な試合でした。
――決勝のウズベキスタン戦は、後半アディショナルタイムに山田楓喜選手がゴールを奪いましたが、終了間際、関根大輝選手がPKを献上。そのPKを小久保選手が見事に防ぎました。
小久保 関根にはたくさん助けられていたし、自分だけではなく、チームとしても頼りになる存在だったので、あのときは自分が関根の力にならなければいけないと思いました。PK戦はキーパーに不利ですし、正直、自信はなかったです(笑)。でも、チームのみんなが「止められる」って声をかけてくれたのが自信につながりました。
それに、キーパーコーチとのミーティングで、飛ぶ方向を決めていたのが大きかったです。相手選手(ウマラリ・ラクモナ)は自分のことを見ないでヘッドダウンした(視線を下げた)ので、それを見た瞬間、先に飛ぼうと思ったんですね。おそらく、すごく良いコースに来るなと。
実際に、すごく良いコースのシュートが来たのですが、先に飛んだことで、ボールに追いつくことができたんだと思います。
――PKストップの後、試合中に涙を見せたことも大きな話題になりました。
小久保 ずっとPKの練習をやっていたので、その積み重ねが結果につながったことがうれしかったのと、今のチームが大好きだったから。自分はU-15から代表に呼んでもらっていて、どのチームも素晴らしいのですが、特に、今のU-23が一番のお気に入りなんです。
それだけ思い入れが強いチームだったので、そのチームでの戦いがもうすぐ終わってしまう。そんな寂しさもあったし、そのチームのために守り切って優勝で終わりたいという思いもあった。それで、泣いちゃったんです。
――U-23日本代表で戦うことに、特別な思いはありますか?
小久保玲央ブライアン(こくぼ・れお・ぶらいあん) 2001年1月23日生まれ、千葉県出身。193センチ、91キロ。ナイジェリア人の父と日本人の母との間に生まれ、小学生時代は柏エフォートFCでプレー。柏レイソルU-15、U18で才能を伸ばし、18年、柏レイソルトップチームへ。同年1月開催の「アルカス国際カップ」で大会最優秀GKに選出されたことで世界的に注目され、翌19年1月、ポルトガル1部の強豪SLベンフィカのU-23チームに加入することに。20年8月には、UEFAユースリーグ決勝でレアル・マドリードと対戦。2-3で敗れるも、大会準優勝に貢献した。同年10月、2部SLベンフィカBで初ベンチ入り。22年1月、Bでデビューを果たし、5月にトップチームで初ベンチ入り。日本代表としては、U-15代表候補に選ばれたのを皮切りに、各年代で選出。今年4月のAFC U23アジアカップでは、数々のビッグセーブでパリ五輪出場権、アジア制覇に貢献。7月11日、ベルギー1部のシント=トロイデンVVへの完全移籍を発表した。