■最高の目標から「W杯参加の通過点」に

 1964年の東京大会では、人気の低い競技から入場券の販売が始まったのだが、サッカーはまず最初のグループに入っていた。その東京大会でアルゼンチンを破り、4年後のメキシコ大会で銅メダルを取って一時的にブームを引き起こしたものの、その後、代表チームが低迷するとともにサッカー人気は下火となり、日本サッカーリーグ(JSL)でも1万人の観客が集まることは稀。代表戦でもスタンドには閑古鳥が鳴いていた。

 そして、アジア予選を勝ち抜けなくなってしまったサッカーは、オリンピックにも6大会連続で出場できなかった。「4年に一度、注目を集める」。その貴重な機会も失われ、サッカー・ファンはオリンピック期間中は寂しさを感じて耐え続けなければならなかったのだ。

 時代は変わり、今ではサッカーは人気プロスポーツとなり、日本人選手の多くがヨーロッパのトップクラブで活躍。代表チームはワールドカップでノックアウト・ラウンドに進むことも珍しくなくなった。

 それに伴って、オリンピックでのサッカーの位置づけも大きく変わり、パリ・オリンピックにはオーバーエイジの選手は参加せず、23歳以下でも海外で活躍する選手の多くが招集されない(できない)時代となった。

 オリンピックが最高の大会と位置づけられる競技では、4年という時間をかけて準備を重ねて来た代表チームが最高の準備をして大会に臨むのだが、男子サッカーの場合、たまたま招集可能だった選手を18人集めたチームが参加するのだ。選手にとっても、オリンピックは最高の目標ではなく、将来のフル代表入り、ワールドカップ参加への通過点に過ぎない。

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