■アジアからの参加チームが急増「西ドイツ大会」
アジアからのワールドカップ・エントリーが急激に増えたのは、1974年西ドイツ大会だった。その前の1970年メキシコ大会ではエントリー4チームだけで、イスラエルとの対戦を拒否した北朝鮮が失格、日本、韓国、イスラエルの3か国に、オーストラリア、ニュージーランドとアフリカのローデシア(人種差別問題でアフリカ予選に参加できなかった)を加えた6チームで原則としてホームアンドアウェーの予選が行われ、イスラエルが勝ち残った。
ところが1974年大会ではアジアからのエントリーが急増し、16チームにもなった。初顔は、セイロン(現在のスリランカ)、香港、イラン、イラク、クウェート、マレーシア、南ベトナム(1976年に国が消滅)、タイの8か国である。ワールドカップ出場国数が16から24に増えるのは1982年スペイン大会以降となるため、AFC加盟国だけの予選はまだできず、オセアニアと組んで1枠を争う予選だったが、1974年大会はアジアの国々がようやく真剣にワールドカップに目を向け始めた大会と言っていい。結局、オーストラリアに「1枠」はさらわれてしまったが…。
1978年アルゼンチン大会の「アジア・オセアニア予選」ではイランが勝ち抜き、初出場を果たす。そして1982年スペイン大会、まだオセアニアをまじえての予選だったが、現在の「最終予選」に通じる形式が初めて実施された。
アジアから18チーム、オセアニアからはフィジーが加わって3チームがエントリー。「予選グループ」を勝ち抜いた4チームが1981年の9月から12月にかけてホームアンドアウェーで戦ったのである。1位で初出場を勝ち取ったのがクウェート。中国とニュージーランドが勝ち点7で並び、1982年1月10日にシンガポールで行われたプレーオフでニュージーランドが勝利、こちらも初出場となった。