後藤健生の「蹴球放浪記」第217回「イタリアーノ、ツウジネーゼ」の巻(2)沖縄おばぁと「ナポリを超える」ビックリ体験の画像
1990年イタリアW杯、ナポリで行われた準決勝の入場券(記者席用)。提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生は貪欲だ。海外取材に行けば、その地の食を積極的に楽しむ。よりよいものを求めるために有効なのが、現地の言葉を学ぶこと。ワールドカップ前の有益なエネルギーの使い方だ。

■なぜ僕のイタリア語は通じなかったのか?

 しかし、不思議です。なぜ、僕のイタリア語はナポリでは通じなかったのでしょうか?

 たしかに、イタリア南部には方言があって、言語学的には「ナポリ語」と呼ばれており、標準イタリア語(フィレンツェ方言を元とした標準語)とは違います。しかし、タクシー運転手が標準イタリア語を理解しないはずはないでしょう。

 もし、その運転手が南米のスペイン語圏からの出稼ぎ者であったとしても、当然、イタリア語は覚えているはずです。

 僕の発音が、よほど悪かったのでしょうか? その可能性はありますが、他の都市ではそんな経験はありませんでした……。

 中世のイタリアは、北部では多数の都市国家が互いに争っており、中部は教皇領で、南部はナポリ王国でした。そして、ナポリ王国はスペイン国王が支配していた時代も長かったのです。だから、スペイン語が通じたのかもしれません。

 30年以上が経過した現在でも、なぜあのとき、イタリア語が通じなかったのかは謎のままです。30年がたって、僕自身もイタリア語はもうほとんど忘れてしまいましたが……。

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