■「食べにくい」ハンバーガー
だが、日本から来た25歳の駆け出し記者は、あらゆることに驚きっぱなしだった。そして、あらゆることに「地球の裏側」を感じた。
この試合の前日、ブエノスアイレスに到着した日の午後いっぱいを休む間もなくあちこち歩き回った私は、午後8時過ぎにホテルに戻り、ようやく荷物をほどいた。そして空腹を覚えたので、「夕食をとらなければ」と、2階のティールームに行った。この日だけは、この町で最高級のシェラトン・ホテルに部屋をとってあった。日本から予約できるのは、ここひとつだったからだ。
ティールームのカウンターに座り、メニューを見ると、「ハンバーガー」があった。出てきたのは、なんとも食べにくい代物だった。日本で食べるハンバーガーのパテには、さまざまな「混ぜ物」が入っていて、かみやすくなっている。ところがこのハンバーガーは、おそらく肉が90%以上なのだろう。さすが「ビーフ大国」である。しかし、食べにくさは尋常ではなかった。
コーラで流し込むようにそのハンバーガーを食べ終え、22階の部屋に戻ると、部屋の電話をとって東京への国際電話を依頼した。東京の編集部に無事到着したことを知らせなければならない。「少し待ってください」という交換手の答えに、受話器を置いて待つことにした。しかし、待てども待てども電話は鳴らない。私は大きなベッドに倒れ伏し、いつの間にか熟睡してしまった。突然、電話のベルがけたたましく鳴る。ようやく電話がつながったという。時計を見ると12時を過ぎている。依頼してから3時間以上たっていた。
この頃、アルゼンチンと日本間の国際電話は、アメリカ経由で行われていた。まずアメリカにつなぎ、そこから日本につないでもらうのだ。そのアメリカとの回線数が少なく、空くまで順番を待たなければならない。それに3時間もかかったのだ。私は、南米大陸から中米・メキシコを経て、アメリカのロサンゼルスまで電線がつながっている図を想像した。そして、そこからは太平洋を海底ケーブルで横断するのだ。
太平洋横断ケーブルが開通したのは1964年。日本からグアム島、ウェーク島、ミッドウェー島を経由し、ハワイまで海底ケーブルをつないだのは、日本のKDD(現在のKDDI=auの前身)だった。アメリカ本土からハワイまではすでに海底ケーブルでつながっていたので、日本とアメリカがつながったことになった。
「地球の裏側から2万キロをつなぐんだ。3時間なら御の字かな」
もうろうとした頭でようやく電話連絡を終わり、そんなことを考える間もなく、私は再びベッドに倒れ伏して爆睡してしまった。