■「批判もあったかもしれませんけど」と振り返る、海外では通常の手法

「浦和時代を振り返ると『悔しい』という思いが真っ先に脳裏に浮かびます。というのも、J1タイトルを取れなかったから。2016年は年間最多勝ち点を挙げたのに、チャンピオンシップで鹿島アントラーズに負けてしまった。あのタイトルがあれば、僕らの完成形に辿り着けたはず。僕は今でも悔しさを忘れたことはないですね」と負けず嫌いの男は感情を高ぶらせる。

 それでも、ミハイロビッチ監督が作ったチームは魅力的で強かった。

「当時の浦和はミシャ監督が日本サッカー界の最適解を見出したチームだと思うんです。(イビチャ・)オシムさんが『日本化』を口にしてから、ミシャ監督は広島、浦和とそれを追求し続けていた。そのために広島の教え子だった槙野や陽介、石原直樹(湘南アンバサダー)、(西川)周作といったメンバーを移植し、そこに必要なピースを加えていくやり方を取った。それが成功したクラブだと思うんです。

 そういうアプローチは海外では当たり前だし、ごく普通に行われていますけど、日本にはない手法だった。批判もあったかもしれませんけど、フィロソフィーを植え付ける意味で一番有効だと僕は思います。それを容認したクラブもサポーターも素晴らしかった。僕は誇りに思います」

 強い浦和の一助に慣れたことを彼は今でも有難く感じているという。

(取材・文/元川悦子)

(後編へ続く)

(2)へ続く
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