後藤健生の「蹴球放浪記」第185回「通訳としてお世話になったパレスチナ人たち」の巻(2)取材で出会ったパレスチナの知的労働者たちの画像
フランスW杯アジア1次予選、1次予選 シリアでのADカード。シリアも素晴らしい国だったが… 提供/後藤健生

 テレビなど日本のメディアでは連日、中東危機について報じられている。その行方を、多くの人が案じている。蹴球放浪家・後藤健生も、そうしたひとりだ。サッカーというフィルターも通して、中東へと目を向け続ける。

■中東取材の思い出

 ところで、サッカーの観戦、取材目的で中東地域を訪れると、知らないうちにパレスチナ人と接触することもあるのです。

 パレスチナ人の中には、労働者として海外に出ている人も多いのです。それも、単純労働者ではなく、技術者、教師など知的な労働者が多いようです。

 パレスチナの地は19世紀にはオスマン・トルコに支配されていましたが、第1次世界大戦でオスマン・トルコが敗れると、委任統治領として英国の支配下に入ります。隣国のレバノンやシリアはフランスが支配しました。そのため、パレスチナ人は英語やフランス語に堪能な人も多いのです。

 日本人のサッカー・ジャーナリストのほとんど(すべて?)は、僕自身も含めてアラビア語が分かりません。ですから、中東諸国に取材に行くと、通訳のお世話にならざるを得ません。そして、通訳の多くがパレスチナ人なのです。

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