■3人の共通点

 大木は1961年7月16日、静岡県清水市(現在の静岡市)生まれ。清水東高校から東京農業大学に進み、1984年、卒業とともに日本サッカーリーグ(JSL)2部の富士通(現在の川崎フロンターレ)に加入。やんちゃな暴れん坊の熱血漢FWとして活躍、Jリーグ時代を迎える直前、1991年に現役を引退し、指導者の道にはいった。

 小林は1960年8月24日、長崎県国見町(現在の雲仙市)生まれ。国見高校2年生のときにインターハイで優勝を経験し、大阪商業大学を経て1983年に当時JSL1部だったマツダ(現在のサンフレッチェ広島)に加入。大木と同様、スピードのあるストライカーだった。しかしマツダはこのシーズンリーグ最下位に終わって2部に降格。1986年に1部昇格を果たし、翌年には天皇杯で決勝戦に進出して小林もフル出場したが、読売クラブ(現在の東京ヴェルディ)に0-1で屈した。そして再び2部に降格、小林は1990年に引退した。

 石崎は1958年3月14日、広島県広島市出身。金田喜稔、木村和司など後に日本代表のスターとなるアタッカーたちを支えるDFとして県立広島工業高校で活躍、東京農業大学に進学。卒業後の1980年にJSL2部の東芝(現在のコンサドーレ札幌、当時の東芝は神奈川県川崎市のチームだった)に加入する。東京農大では大木の4年先輩となり、石崎の卒業のタイミングで大木が入学している。ハードなマークを得意とする「ストッパー」として活躍、1991年にコーチとなるが、後に復帰し、1993年に引退した。

 3人の経歴には、ひとつの共通点が見える。3人とも高校サッカーの強豪校で活躍し、大学に進み。日本のトップリーグではなく、「会社員」として生活しながらその下のJSL2部でプレー、30歳過ぎに現役を引退して指導者の道にはいっている。例外なくそれぞれの所属チームで中心選手であり、高い信頼を受けていたが、けっしてトップスターではなかった。その3人が、Jリーグの歴史の3分の2という長い期間にわたってリーグを支えてきたのである。

(2)へ続く
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