■1990年代の変化
サッカーを見たければ、愛するクラブの試合を見逃さないようにするためには、スタジアムに行かなければならない。であれば、観客が最も来やすい時間に設定するのは当然である。だから全試合が同じ日の同じ時刻に設定された。誰もそれを疑問に思う者はいなかった。
それが大きく変わったのは1990年代、テレビの生中継がプロサッカーの大きな要素になってからだった。欧州ではデジタル多チャンネル化が進行し、視聴料を払う放送のプラットホームが林立した。そうした事業者たちが、契約者を増やすための「キラーコンテンツ」として目をつけたのがサッカーだった。
1992年、それまでの「フットボールリーグ1部」から「プレミアリーグ」への最大の変化は、放映権をクラブではなくリーグが所有し、一括してテレビ事業者に売るということだった。「キラーコンテンツ」の獲得争いが過熱し、プレミアリーグの放映権料はうなぎ上りに上がってたちまちクラブを潤した。1995年の「ボスマン判決」により各国リーグが設けていた外国人制限も事実上撤廃され、いち早くテレビ資金を手に入れたプレミアリーグが世界のスター選手を獲得して他を圧していくのである。
そしてトップリーグは全試合が生中継されるようになる。そうなれば、「試合日とキックオフ時間の統一」など、無用の長物どころか、まず最初に葬り去られるものだった。テレビ局にとっては、できる限り試合がバラバラに行われるほうが都合が良いからだ。土曜日だけだった試合が日曜日にも行われ、金曜日や月曜日に広げられるのに、そう時間は要さなかった。そしてキックオフ時刻も、多種多様になった。