■歴史に思いを馳せる
その後、日本サッカー史について調べていると、このスタジアムは1939年に建設されたものだということが分かりました。
当時、中国東北部は「満州国」という日本の傀儡国家になっており、長春は「新京」と呼ばれ、「満州国」の首都だったのです(今でも、長春には当時の「満州国」皇帝の宮殿など日本が建てた建築物がたくさん残っています)。
その「新京」では1939年9月に「日満華交歓競技大会」というスポーツ大会が行われ、南嶺体育場はこの大会のために突貫工事で建設されたものだったのです。
蹴球競技も南嶺体育場で行われ、日本が中華民国(上海周辺の親日政権支配地域の選抜チーム)に3対0、「満州国」に6対0と圧勝しています。
南嶺体育場は、そんな歴史を秘めたスタジアムだったのです。