後藤健生の「蹴球放浪記」第146回「2つの国の代表のホームとなった世界で唯一のスタジアム」の巻(2)日本代表の練習取材を切り上げるほどの価値の画像
スタディオン・オリンピスキの時計塔 提供/後藤健生

 蹴球放浪家・後藤健生のサイドトリップは、観光の枠に収まらない。時には、サッカー史上の重要ポイントの目撃というミッションに挑む。フランス代表のホームに乗り込み撃破した2012年の日本代表の欧州遠征で、続くポーランドにおけるブラジル戦でも見逃せないポイントがあった。

■ヴロツワフという街

 ポーランド語で「スタディオン・オリンピスキ」と呼ばれるそのスタジアムは1928年に完成したのですが、当時、ヴロツワフはドイツ領でした。

 この街は10世紀にミエシュコ1世の下にポーランド王国が誕生した時の“古都”だったのですが、16世紀にはオーストリアの支配下に置かれ、1741年からはプロイセン(ドイツ)領となっていたのです。当時は、ドイツ語で「ブレスラウ」と呼ばれていました。

 しかし、1939年9月にはナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第2次世界大戦が勃発。1945年にはドイツが無条件降伏します。勝利者となったソビエト連邦は、ソ連とポーランドの国境を戦争前より西に移動させます(現在のベラルーシとポーランドの国境線です)。そして、その分、戦前にドイツ領だった西部地域がポーランド領とされ、東部に住んでいたポーランド人が西部に移住させられました(このため、かつて国の中心に位置していた首都のワルシャワは、戦後は東の国境の近くになってしまいました)。

 こうして、ヴロツワフは4世紀ぶりにポーランド領になったのです。

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