■初の中東開催の意味
カタールの人権問題、スタジアムを中心とした建設工事での犠牲者など、今後より詳細な調査が行われ、大会の成功に影を落とす可能性のある事項もある。国際サッカー連盟(FIFA)のジャンニ・インファンティーノ会長とカタールの癒着問題もささやかれている。
大会運営では、事前の懸念どおり、宿泊問題が大きなマイナス点だった。どんな宿泊施設もこれまでの大会になく高額だった。さらには、しかも何万人もの外国人サポーターのために用意された施設のなかには、劣悪なものも数多くあった。大会の準備にあたり、スタジアムとメトロなどの整備は最優先されたが、宿泊問題は軽く考えられて後回しにされ、その結果、外国からのサポーターに大きな犠牲を強いることになった。
しかし私は、このワールドカップをカタールでやったのはよかったと思っている。11月から12月というまったく新しい時期での大会への可能性を開いたこと、2002年大会を除けばすべて「キリスト教文化圏」で行われてきたワールドカップという大会を初めて「イスラム文化圏」で行ったことは、今後21世紀のワールドカップと世界にとって意味のあることだったはずだ。
そして何よりも、大会の運営に従事した末端のスタッフやボランティア、セキュリティースタッフ、この大会の重要な要素となったメトロやシャトルバスの運行・案内に従事したスタッフの礼儀正しさと親切な笑顔が、カタールを訪れた人びとをハッピーにした。
この大会では、カタールに働きにきている外国人労働者が家族連れで観戦にきたり、特定のチームのユニホームを着て応援にきている姿を数多く見た。もしかしたら、決勝戦のルサイル・スタジアムを埋めた8万8966人のファンのうち、半分以上がそうした人びとだったのではないか―。外国からの観戦客で最も多かったのは、陸続きの隣国サウジアラビアからの人びとだった。アラビア半島に住む人びとが初めて心から楽しんだワールドカップが「カタール2022」だったとしたら、それだけでも意味のあることだったのではないか。