■モロッコの2つの顔
アジア勢の健闘の裏には、やはり“地の利”があったと思われる。
開催国カタールはアジア・サッカー連盟(AFC)のメンバー国であり、アルゼンチンを破ったサウジアラビアは唯一、カタールと陸上国境を接している国である。
そして、東アジア諸国もさまざまな大会でカタールで試合をした経験が豊富だ。
日本代表にとっても、カタールは1993年のアメリカ・ワールドカップ最終予選以来、何度も戦いを経験した地だ。中東でのアウェーゲームの前にはドーハの施設を使って調整を行うことすらある。ドイツ、スペインに逆転勝ちしたハリファ・インターナショナル・スタジアムは、アメリカ・ワールドカップ最終予選のメイン会場だったスタジアムであり、また2011年アジアカップ決勝で李忠成がボレーシュートを決めてオーストラリアを破って優勝を決めた思い出の舞台でもある。
つまり、アジア諸国にとってカタール大会は“準ホーム”での戦いだったのだ。距離的に遠い南米大陸のブラジルで開かれたワールドカップではアジア勢は惨敗を喫したが、やはり開催国カタールとの地理的近接性はアジア勢躍進の大きな理由になった。
アフリカ勢はラウンド16に残ったチームが2チームだけで、「今大会は不振か」と思われたが、その後モロッコ代表がアフリカ勢としては史上初めてとなるベスト4に進んで世界を驚かせることとなった。
モロッコの選手の多くはヨーロッパの強豪クラブで活躍しているし、半数ほどの選手はヨーロッパで生まれ、ヨーロッパのクラブのアカデミーで育った選手だっただけに、モロッコはある意味で“ヨーロッパのチーム”でもあった。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督が解任された後を受けて監督に就任して手腕を発揮したワリド・レグラギ監督もフランス生まれフランス育ちの指導者だ。
一方で、モロッコは開催国カタールと同じアラブ諸国の一つとして、開催地カタールをはじめとするアラブ諸国やアフリカ諸国のサポーターからの大声援を受けて戦うことができた。アジア勢と同じく、モロッコにとってもカタールは準ホームだったのだ。
つまり、アジア諸国の躍進とモロッコの快進撃をもたらしたのは開催地がカタールだったから、だった。