4年に一度の祭典が終了した。アルゼンチンの36年ぶりの世界一で幕を閉じたが、カタールワールドカップは多くのサプライズに彩られた大会だった。世界のサッカーの「勢力図の異変」は、なぜ起きたのか。サッカージャーナリスト・後藤健生が考察する。
■奮闘したアジア勢
ブラジル、アルゼンチンは優勝候補に挙げられていたが、ヨーロッパとの対戦経験がほとんどないという事実が評価を難しくしていた。
実際、開幕2日目にはアジアの雄、イラン代表がイングランドに2対6と大敗を喫した。いつの大会でも強豪国相手に食らいついて拙戦に持ち込む力のあるイランの大敗は意外な出来事だった(後に、イラン代表が政治的な困難に直面していたことが明らかになる)。
しかし、その後は、グループリーグの段階からヨーロッパの強豪国が敗れる波乱が続いた。
大会3日目の11月22日に優勝候補のアルゼンチンに対して組織的守備とカウンターで対抗したサウジアラビアが2対1と逆転勝利すると、翌日には日本代表がドイツにやはり逆転で2対1の勝利。
日本はその後、スペインにも逆転勝ちして“死の組”と言われたグループEを首位通過。その他、オーストラリアと韓国もグループリーグ最終戦でそれぞれデンマークとポルトガルに勝って、ともにグループリーグを2位通過した。
こうして、アジア勢がなんと3チームもラウンド16に進出したのだ。
ヨーロッパ、南米両大陸以外から勝ち上がったのはアジアが3チーム、アフリカが2チームずつ(モロッコとセネガル)、北中米カリブ海が1チーム(アメリカ)だった。