■低く速い直接FK弾には明確な意図があった

 イビチャ・オシムから岡田武史へ指揮権が移ってからも、中村は日本代表に欠かせない選手となっていった。南アフリカW杯アジア最終予選の初戦となった08年9月のバーレーン戦でも、このレフティーはチームに勝利をもたらしている。

 バーレーンとは3次予選でも対戦しており、3月のアウェイゲームは0対1で落としていた。敵地マナマから最終予選がスタートする試合では、きっちり勝利をつかまなければならない。

 欲しかった先制点を、日本は18分に奪取した。決めたのは中村である。

 彼の直接FKと言えば、美しい放物線を描くものが多い。この試合の先制点も直接FKだったが、低くて速い弾道のシュートをゴール左スミに決めている。

「壁の上を越えるキックが、練習であまりいい感じじゃなかった。ここは芝生が長くて柔らかいし、ボールも所属チームで使っているものとは違うので、低いシュートを狙おうと。思ったよりいいところへいったので、蹴った瞬間に入ったかなと」

 その後も遠藤保仁がPKを決め、中村憲剛がミドルシュートを突き刺し、日本は3対0とリードを広げる。終盤に連続失点して1点差に詰め寄られたが、3対2で白星発進となった。ピッチ上の指揮官として、中村は日本代表を南アフリカW杯へ導いていくのである。

 今回、8つの試合をチョイスしたが、難しくもあり楽しい作業だった。日本代表がアジアカップやW杯に出場するたびに、あるいは日本代表にとって印象深いスタジアムで試合が行なわれるたびに、中村俊輔という選手が人々の記憶のなかで立ち上がるに違いない。 

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