■スキー用具からの進化

 さて、グローブが最初にクローズアップされたGKは、1974年ワールドカップで優勝した西ドイツのゼップ・マイヤーだった。ウィキペディアを見ると「身長185センチ」とあるが、フランツ・ベッケンバウアーなどと並んだ写真から察するところ、実際には180センチあるかないかだったのではないか。ともかくグローブをはめた手だけが異常に大きかったのである。

 GKがグローブを着けてプレーするという習慣は、当時すでに一般化していたが、多くは通常の革手袋か、せいぜいそれに卓球のラケットに貼るラバーを縫い付けた程度のものだった。しかしマイヤーが着用していたのは、甲と指の「背」の部分にはタオル地の布を使い、手の甲に当たる部分にはゴムを縫い付けただけでなく、手のひらと指の「腹」の部分にフォーム状の軟らかい天然ゴム(このときには黒だった)を幅広く使ったものだった。全体として素手よりはるかに大きい印象があり、マイヤーの長い腕の先についたそのグローブは、やけに目立った。

 実はこれは、マイヤー自身が開発に参画し、スキー用の手袋の専門メーカーだった「ロイシュ」と共同で開発したものだった。父親が一代で築いたスポーツ用品会社に就職したばかりの23歳のゲブハルト・ロイシュは、大のサッカーファンで、しかもバイエルン・ミュンヘンのファンだった。そのバイエルンの英雄のひとりであるマイヤーからの依頼に、ゲブハルトは何もかも放り出して開発の先頭に立った。完成はワールドカップの前年、1973年のことだった。

 ちなみに、ミュンヘンのオリンピックスタジアムでマイヤーがゴールを守る西ドイツと決勝戦を戦ったのはオランダだったが、そのGK、ヤン・ヨングブロートはグローブをつけていなかった。素手で決勝戦の舞台に立ったのだ。ワールドカップ史上、彼は決勝戦を素手でプレーした(これまでのところ)最後のGKとなった。

 「ちなみに」のちなみに。4年後、ヨングブロートは1978年ワールドカップでも決勝戦の舞台に立ったのだが、アルゼンチンと対戦したこのときには「マイヤー・タイプ」のしっかりとしたGKグローブを着用していた。

(2)へ続く
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