■「スペシャル・ライセンスプレーヤー」の誕生

 JSLの総意を受けて、JFAがようやく重い腰を上げた。1986年5月、JFAは「選手登録規程」を改正し、アマチュア選手のほかに「ノン・プロフェッショナル選手」と「スペシャル・ライセンスプレーヤー」のカテゴリーを設け、実質的にプロ選手の登録を認めたのだ。「ノン・プロフェッショナル選手」も「スペシャル・ライセンスプレーヤー」と同様、サッカーをすることで報酬や出場給、勝利給を受け取ることができるが、前者は広告・宣伝活動はできないことになっていた。

 とてもややこしい制度だが、プロ公認の過渡期としては、仕方のないものであった。この年、「スペシャル・ライセンスプレーヤー」と認定されたのは、西ドイツのブンデスリーガで9シーズン活躍して古河に戻った奥寺康彦と、日本代表の中心選手である日産自動車の木村和司2人だけだった。だが翌年には両者の区別はなくなり、すっきりと「プロ」または「アマチュア」となった。

 1993年のJリーグ誕生は、日本サッカー百年の歴史のなかでも最大のトピックだった。日本のサッカーのかかわる大半の事象を、「Jリーグ前」と「Jリーグ後」に分けて考えられるということは、多くの人に賛同してもらえるだろう。だが、そのJリーグは一朝一夕でできたものではなかった。数十年間という時間をかけて、そのときどきに日本のサッカーの未来に向けて努力し、準備してきたことが一挙に花開いたのが、「Jリーグ化」だったのだ。

 プロ選手の登録が認められて2年目の1987年には、チームによって事情はさまざまだったが、JSL登録の多くの選手がプロという立場になっていた。日本のサッカーの「プロ化元年」を1986年と表現しても、まったく間違いではない。

 そして「裏方」という地味な仕事のなかで、森が常に未来につながる仕事をしてきたことは疑いない。その最後のワンプッシュが、1988年の3月にJSL内に設立した「活性化委員会」だった。

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