今年はカタールでワールドカップが開かれる。ひと昔前ならば、考えられないことだった。まだ中東がミステリアスな存在だった時代、サッカージャーナリスト・後藤健生は果敢に潜入取材に挑戦していた。
■日本と中東の皮肉な逆転
前回の「蹴球放浪記」でも書きましたが、エミレーツ航空やカタール航空の直行便がなかった時代には、中東に行くのはたいてい東南アジア経由でした(エミレーツ航空が関西国際空港に初めて乗り入れたのは2002年10月)。
東南アジア各国の航空会社が中東まで便を飛ばしていましたし、ガルフ航空など中東の会社も東南アジア便を持っていました。というのは、中東の産油国では東南アジアやインド亜大陸出身の大勢の労働者が働いていたからです。
中東の産油国は、たまたま自分たちの住んでいた大地の下に「石油」という名の“お宝”が埋もれていたおかげで20世紀後半に入ると“濡れ手に粟”的な大儲けをします。かつて、アラビア湾(ペルシャ湾)では真珠取りが主要産業でしたが、20世紀に入って日本で真珠養殖が盛んになったことで中東の真珠産業は廃れてしまいます。そして、ちょうどその頃石油産業が発展し、真珠産業の衰退をもたらした日本に向けて石油や天然ガスを売りつけることになるのですから、壮大な歴史の皮肉です。