■「モラル最低」の時期に起きた奇跡
2002年ワールドカップの主要スタジアムとして計画され、2001年10月から使用が始まった埼玉スタジアム。ワールドカップのアジア予選で初めて使われたのは、2004年2月18日の1次予選初戦、オマーン戦だった。2006年ワールドカップ・ドイツ大会を目指す予選のスタートである。
2002年ワールドカップ後に就任したジーコ監督のチームのモラルが「底」と思われる時期だった。この試合を前にした合宿中には、「無断外出事件(俗に『スシ投げ事件』)」が起こっている。大方の予想どおり当時6人いた「海外組」のうち5人を先発させた日本代表の攻撃は、けっして芳しいものではなく、前半30分に得たPKも中村俊輔のキックが防がれるなど、おそらくオマーン・サッカー史上最高のプレーヤーであるGKのアリ・アルハブシが守るゴールをこじ開けるのは至難の業と思われた。これを救ったのが、柳沢敦に代わってハーフタイムに投入された久保竜彦(後に「無断外出事件」で処分される8人のひとりである)だった。
0-0のまま、アディショナルタイムにはいってもオマーンの集中した守りに決定的な形をつくれない日本。しかし偶然が絶好のチャンスをつくりだした。中盤、鈴木隆行からこぼれてきたボールを小笠原満男がとっさにゴール前に送ったパスは相手に簡単にはね返されたが、ヘディングされたボールがその前に立っていた中村の右足に当たってペナルティーエリア内に転がったのだ。そこに久保がいた。