後藤健生の「蹴球放浪記」第90回「ペドロ・フアン・カバジェロの悲しい夜」の巻(1)冷たい雨が降るパラグアイの国境のスタジアムの画像
井原さんの代表ラストマッチを見届けた取材パス 提供/後藤健生

 どんな選手にも、スパイクを脱ぐ時はやってくる。だが、偉大な選手には、それなりのラストステージが用意されてしかるべきだ。「アジアの壁」の日本代表ラストマッチに蹴球放浪家・後藤健生の心が冷え込んだのは、冷たい雨だけが理由ではない

■ブラジルに奪われた領土の一部で

 井原正巳(現、柏レイソル・ヘッドコーチ)は「アジアの壁」と呼ばれた1990年代の日本を代表するDFでした。日本代表での出場試合数は122。当時の最多キャップ数の記録でした。

 その井原の日本代表でのキャリアは実に悲しい形で終わってしまいました。

 舞台はパラグアイのペドロ・フアン・カバジェロ市のエスタディオ・リオ・パラピティという、2万5000人収容の小さなスタジアムでした。気温は11度で、冷たい雨が降りしきる夜のことでした。

 ペドロ・フアン・カバジェロという町はパラグアイの東北部にあります。パラグアイという国自体、南米大陸の小さな内陸国ですが、そのパラグアイの中でもペドロ・フアン・カバジェロは首都アスンシオンから遠く離れた小さな(人口11万人)町です。

 ペドロ・フアン・カバジェロ市はブラジルとの国境にあり、ブラジル側の都市ポンタ・ポランと一体になっています。もっと正確に言えば、もともとこの辺りはすべてパラグアイ領土だったのですが、19世紀にあった三国同盟戦争に敗れたパラグアイは広大な領土を失い、ポンタ・ポラン市はブラジルの領土になってしまったのです。なにしろ、南米の大国ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイと戦争したのですから、パラグアイに勝ち目はなく、領土の4分の1を失ってしまったのです。

 そして、その後ポンタ・ポランの西のパラグアイ領側に新しくペドロ・フアン・カバジェロ市が建設されたのです。

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