サッカーは国や地域ごとにプレースタイルの違いが出てくるものだ。観戦にも、「スタイル」は存在する。蹴球放浪家・後藤健生は、その対応もぬかりない。今回は、南米サッカーを生き抜く術を伝える。
前回、前々回でもご紹介したように、世界を旅していると数多くの「小悪人」どもが寄ってきます。ある時はそうした「小悪人」を撃退し、またある時は「小悪人」どもにしてやられながら、放浪の旅は続くのです。
「小悪人」を利用させてもらったこともあります。
1993年の8月にアメリカ・ワールドカップの南米予選を観戦に行った時のことでした。最初の試合はパラグアイの首都アスンシオンでのパラグアイ対アルゼンチン戦でした。
8月7日の昼12時55分発のイベリア航空機で成田空港を発って、ブエノスアイレスに到着したのが翌8日の午前6時10分。スペイン・マドリードでの乗り継ぎはわずか1時間半でしたが、ブエノスアイレスのエセイサ空港では5時間以上の待ち時間があって、最終的にアスンシオンに着いたのは8日の12時15分のことでした。丸1日? いいえ、時差があるので成田出発から約36時間という長旅です。
問題は、パラグアイ対アルゼンチンの試合がその日の15時開始予定だったことでした。
アスンシオンのシルヴィオ・ペッティロッシ空港は都心まで10キロ弱。また、パラグアイ代表の本拠地、エスタディオ・ディフェンソーレス・デル・チャコも都心部にあるので試合開始には間に合いますが、入場券などを手に入れなければいけません。