■評決が下った1937年
だがそれで混乱が収まったわけでもなかった。ペナルティースポットからペナルティーエリアのラインまではわずか5.5メートルである。「9.15メートル」を守らず、少しでもボールに近づこうという選手が後を絶たなかったのである。いまでは世界の常識となった「バニシングスプレイ」の登場(Jリーグでは2015年のこと)により、FKのときに主審がピッチに吹き掛けてボールの位置と9.15メートルのラインを明確にするまでは、壁の位置をめぐって醜い争いがあったことを考えれば、容易に想像がつく。
またまたちなみに。今年創立百周年を迎えた日本サッカー協会が誕生したのが1921年。この論争のころのことである。誕生したばかりの日本サッカーには、まだ「かまぼこ」はなかったことになる。
「ペナルティースポットを中心に、9.15メートルの弧の形のラインをペナルティーエリア外に引いたらいい」という案が出たのは、欧州大陸の国からだった。残念ながら、どこの国の誰が考案したのか、私は調べ切ることはできなかったが、想像するところ、このころ欧州大陸のサッカーのリーダー的存在だったオーストリアあるいはチェコスロバキアといった国ではなかったか。ちなみに、欧州サッカー連盟(UEFA)が誕生するのは1954年のことだから、当然のことながら、この欧州サッカーの統合組織が提案したわけではない。
1937年、サッカーのルールを決める国際サッカー評議会(IFAB)で正式認可され、すべてのサッカーピッチに「ペナルティーアーク」が追加されることとなった。「ひとみ」が描き入れられ、サッカーピッチという竜が美しく天に舞い昇った瞬間だった。