夏草や兵どもが夢の跡。松尾芭蕉が奥州平泉を訪れて奥州藤原氏の栄華を偲んで詠んだ著名な一句である。かたや我らが蹴球放浪家・後藤健生は、欧州スイスに第5回ワールドカップ決勝スタジアムを訪ね、その名も高き「ベルンの戦闘」に思いをはせた。だが有名になった言葉は、ワールドカップに初出場する日本代表を率いてスイスに来ていた岡田武史の口から、その翌日に発せられた――。
■取り壊し直前だったボロボロのスタジアム
この時、わざわざヴァンクドルフまで試合を見に行ったのは、後から考えると大正解でした。
というのは、ヴァンクドルフはそれからわずか3年後の2001年に取り壊されてしまったからです。2005年には跡地に新スタジアムが建設され、2008年の欧州選手権(EURO)の会場となりました。新スタジアムはなぜかフランス語で「スタッド・ド・スイス」と呼ばれていたのですが、2020年に名称は元の「シュタディオン・ヴァンクドルフ」(ドイツ語)に戻されたそうです(スイスは4つの言語が使用される多言語国家です)。
ちなみに、ワールドカップ決勝戦の舞台となったスタジアムで取り壊されてしまったのは1934年イタリア大会のスタディオ・ナツィオナーレPNF(ローマ)と1966年イングランド大会の旧ウェンブリー、そしてヴァンクドルフの3か所だけです。
たしかに、僕がここを訪れた時、ヴァンクドルフはすでにかなり老朽化していました。
南東側ゴール裏2階席は完全に閉鎖されていました。一見しただけで「あそこに人を入れたらおそらく崩落してしまうだろう」と思わせるほどボロボロでした。僕が座ったバックスタンドは土手を補強してそこに木製のベンチを渡しただけのものでしたが、ベンチは手入れが悪く、穴だらけでした。また、ゴール裏のコーナー付近にはこのスタジアムのシンボルのような大きな時計塔が立っているのですが、時計はまったく動いていませんでした。