■日差しが強くてかなり暑かった記憶が残っています
そんな取り壊し直前のスタジアムでしたが、僕は動かない大時計や閉鎖された2階席を見ながら、1954年の決勝戦の映像や写真などを思い出していました。当時のままの光景でした。ただ、1954年のワールドカップの時は雨が多かったようですが、1998年のヴァンクドルフは晴天で、気温は25度でしたが、日差しが強くてかなり暑かった記憶が残っています。
ヴァンクドルフで観戦した翌々日(カズがチームを離れた翌日)の6月3日には、ニヨンで合宿していた日本代表はローザンヌでユーゴスラビアと準備試合を行いました。
ローザンヌはレマン湖に面している坂の街です。坂だらけなので道路も直線ではなく、橋やトンネルがたくさんあるので、僕は方向感覚は良い方なのですが、何度も道に迷ってしまいました。レマン湖の畔には、あのIOC(国際オリンピック委員会)本部も鎮座しています。
ユーゴスラビア戦が行われたスタッド・オランピークはカップ戦で優勝したLSのホームグラウンドで、1954年スイス・ワールドカップの準決勝ハンガリー対ウルグアイの舞台にもなっています。こちらは今も存在していますが、すっかり老朽化。LSは2020年11月にサッカー専用の新スタジアムをオープンさせたそうです。
さて、スイス・カップ決勝戦の観戦を楽しんだ僕は、ニヨンのホテルに戻って来てから気が付きました。「そうだ、これでワールドカップ決勝戦スタジアムのうち、まだ行ったことがないのはパリのコロンブだけじゃないか!」と。コロンブを訪れるのは、その半年後のことでした(「蹴球放浪記」第72回)。