■オリンピック幻想から幻滅へ
日本が2020年大会を招致した時、「経済発展の成果を示す」というような明確な開催意義を示すことはできなかった。成熟した社会でのオリンピック開催にはそれなりに意義はあるのだろうが、それを分かりやすく内外に示すことができなかったのだ。そこで2011年の東日本大震災からの復興を旗印に「復興五輪」なる言葉が使われた(ちなみに、1940年の大会招致の時も1923年の関東大震災からの復興が開催意義とされた)。
いずれにしても、2020年大会に向けては1964年当時のようにすべての国民が開催を望むような状況は期待できなかった。
民主主義的な先進国では、必ずといっていいほどオリンピック開催に対して反対論が巻き起こる。なぜなら、オリンピックの開催は競技施設の建設や交通網の整備等に巨額の資金が必要となり、要するに開催都市にとって負担が大きいからだ。過剰に建設されたスポーツ施設は大会後の後利用が難しいし、環境面での負荷も大きい。たしかに経済効果はあるが、その恩恵を受けるのは一部にすぎない。反動として大会終了後に景気が悪化することもある。
だから、先進国では反対運動は必ず起こるのだ。
ただ、それでも日本人にとってはオリンピックは20世紀の間の良き思い出であり、反対の声は少なかった。
高齢化が進み、経済の縮小など問題を抱える日本や東京にとって負担が大きいことも、オリンピックの商業化が進み、その金権体質が明らかになっていることも、日本人は承知していた。だが、それはそれとして日本人選手の活躍に熱狂することは心地よいことだったし、報道機関もオリンピック報道で部数や視聴率を稼ぐことができるのでオリンピックを批判するよりは礼賛するような報道が主流だった。
海外でオリンピックが開催されるのならば、それで構わなかった。だが、実際に東京で開催されることが決まると、その後、様々な問題が噴出してオリンピックに対する幻想は次第に幻滅に変わっていく。
新国立競技場の建設を巡ってザハ・ハディド案の白紙撤回という大問題が起こり、公式エンブレムが発表されると直ちに盗用疑惑が浮上してこれまた白紙撤回。大会直前になって、IOCは突然マラソンと競歩の開催地を札幌に変更したが、その際、日本側の意向はまったく考慮されなかった。
さらに、東京オリンピック招致を巡る贈収賄の疑いで竹田恆和JOC会長が辞任に追い込まれ、そして、東京オリンピック・パラリンピック組織委員長の森喜朗会長も「女性蔑視発言」で辞任するなど不祥事も続発。日本の統治機構が十分に機能していないことが次々と明らかになっていったのだ。
そして、追い打ちをかけたのが新型コロナウイルス感染症だった。