■その時、歴史が動いた
ところが、この時に多くの子供たちがサッカーに連れて行かれたことで歴史が動きます。
試合などロクに見ていなかったのですが、なんとなくサッカーが面白そうだったのでしょう。子供たちはサッカーで遊ぶようになりました。僕は翌年、やはり公立の中学校に入学したのですが、男の子たちは休み時間と言えば皆、廊下でタワシを蹴って遊んでいたものでした(僕も早速中学のサッカー部に入部しました)。
こうして、競技人口が大きく拡大。そして、日本サッカーリーグ(JSL)も開幕してサッカー・ブームがやって来ます。中学生だった僕もJSLを観戦に行くようになり、古河の試合を見に行くと(時々ですが)代表監督だった長沼選手も出場していました。
そして、4年後、日本代表はメキシコ・オリンピックで銅メダルを獲得します。ブームのおかげでテレビ中継も増え、1970年のメキシコ・ワールドカップは東京12チャンネル(現テレビ東京)で全試合が録画放映されました。
東京とメキシコのオリンピックで活躍したものの、それは一握りの代表選手を集中強化したチームでした。その後は、若手の育成ができていなかったので日本サッカーは再び低迷してしまいました。
しかし、指導者の中には個人技中心の指導を始める人も現われ、少年層のレベルも次第に上がっていきます。1960年代から1970年代にサッカーを始めた少年たちが大人になる頃(つまり1990年代)には日本人選手のレベルも上がってきました。
1964年に東京でオリンピックが開催されていなかったら、日本のサッカーはもしかしたら今でもマイナーなままだったかもしれません。少なくとも、新宿に住んでいた内気であまり家の外にも出たがらなかった少年が、世界88か国を放浪するようになることはなかったでしょう。