「私論 21世紀の五輪」(3)オリンピックを存続させる「唯一の道」の画像
新国立競技場はどうなるのか…… 撮影/編集部
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22歳のキリアン・エムバペは、東京オリンピックに召集されなかったらしい。それは、そうだろう。国際サッカー連盟(FIFA)が定める代表活動期間ではないし、仮にフランスサッカー連盟が招集をかけても、所属クラブのパリSGに承諾する義務はない。世界のサッカーの最先端では、もう長らくオリンピックは商業主義にのっとったひとつのスポーツ・イベントであり、特別視はされていない。ここ日本でも、オリンピックを理想化する理由はもはやないのではないか――。

■もはや開催できるのは経済大国と独裁国家だけ

 このように負担が大きくなってしまったのは、まさにオリンピックの肥大化のせいだ。1964年の東京オリンピックでは19の競技の163種目で金メダルが争われたが、2021年大会では33競技・339種目とほぼ倍増。そして、参加選手数も1964年大会の5151人から、2021年大会の1万人強とこちらも倍増だ。

 肥大化の原因はIOCの商業化路線であろう。次々と人気種目を追加する一方、伝統種目も廃止できないからだ。競技数、種目数が増えれば増えるほど世界中の国に放映され、放映権料はますます増える。ただし、それだけ多くの種目を開催するための負担(たとえば、アテネの野球場の建設)は開催都市がするのだ。

 かつてはストックホルムやアントワープといった小さな国、あるいは小さな都市でも開催されたオリンピックだが、このように肥大化してしまったことで大会を開催できるのは一部の経済大国か、国威発揚のためには巨額な国費を投じることを辞さない権威主義的政治体制の国しかなくなってしまった。

 ちなみに、独裁国家がオリンピック開催を目指す傾向は何も新しいことではない。1936年のIOC総会では当時国家主義的な拡大路線を採っており、すでに国際連盟を脱退して政治面では孤立化していた日本の東京に開催権が与えられた。その前の1936年大会はナチス政権下のドイツ・ベルリンで開かれていたし、そして1944年大会はムッソリーニのファシスト党政権下のイタリア・ローマで開催されるはずだった。

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